差別とはなにか わからないひとへ

「LGBTQ+が嫌いだ」
 というひとは、別にそう思っておくことは自由です。
 私とて何も「無知であることは、差別の始まりだ」と言いたいわけではないのです。
 一九七〇年代の西欧のレズビアンは自分達を秘密にして身を守っていました。隠れ家的な飲食店で交流するのが主だったと言われています。彼らはそもそも立ち入られることを嫌います。
 一口にレズビアンと言っても、肉体の性別が男性か女性かは問いませんし、自認する性別が男性か女性かも問いません。性対象は女性で固定されていますが、それが性的趣向だという者と、性同一性障害に由来する者、およそ男性の性役割とされるものに則っては女性を愛さない者など、列記しきれないほどに多様です。――レズビアンと括られるひとも多様です。そして、彼らの厳格な区別は存在しません。――「差別ではない、区別だ」という言葉が最近の差別者の常套句ですが、彼らは厳格に区別できないものはとにかく嫌いです。しかし、誰一人として詳細に立ち入られることなく居場所は与えられるべきなのです。

 障碍者差別に対しては、口話教育など典型的ですが、「頑張って健常者に混ざれたらよい」という思想が付きまとうようです。しかし、それは当事者(障碍者)側が健常者と立場だけでなく能力も同格であることを切に願っている証拠でもあります。
「努力しろと言われたくない」
「努力ならしている」
「誰にも迷惑をかけずに働けるようになれるなら、そうなったうえで、誰にも迷惑をかけずに働きたい」
――個人の考えを言えば、「障碍は個性だ」というメッセージは全く好きではないです。
 障碍なんて無いに越したことがないだろう、と。
 最近では深刻な障碍の持ち主がテレビで報道される傾向にあります。頑張れば健常者に混じれそうな障碍者はあまり報道されません。
 相模原障害者施設殺傷事件(二〇一六年)から十年が経ちました。
 社会の暗部だ――。
 障碍者の世界が非公開であることは、無知を正当化させます。
 しかし、やはり私は「無知は差別の始まりだ」と言いたいわけではないのです。
 健常者に追いつくことを望む障碍者もいれば、ひっそりと寿命をまっとうしたい障碍者もいます。
 均等な機会に則って、能力に応じて暮らしている者を、社会の成員とみなせないのであれば、それは心の中で彼らを受け入れることを困難にさせます。

 アメリカの黒人差別は、他の差別と比較しても深刻な亀裂と分断を社会にもたらしたものです。
「差別は過去のものだ」
 と主張すると、カラーブラインドレイシズム(新たな差別だ)と批判されます。
 黒人差別を例にとるとわかりやすいのは、――差別する側とされる側を行ったり来たりする人がいないことが、比較的狭い意味、比較的厳密な意味での差別の特長だということです。
「白人を差別するな」
 という発言は白人至上主義として扱われます。
 日本でそれに最も近い情況にあるのが、在日コリアンへの差別です。まず、彼らに対する歴史認識が統一されていません。――これは教育の不足です。日本は朝鮮を植民地支配しました。当時の欧州列強と比べても前時代的な、コロンブス並みの残虐な占領行為でした。当時漢方医学が主流だった朝鮮に、西欧式の医療をもたらしたのはアメリカのクリスチャンです。日本が近代化したというのは誤りです。――明治以降、日本は近代国家形成に着手した際、薩摩藩が実効支配していた琉球(沖縄)と共に朝鮮に食指を伸ばします。一八七九年の琉球処分より先に、一八七五年に江華島事件を起こしています。明治政府は、――今、沖縄が日本の一部であるように、朝鮮を日本の範囲にする野望を持ち合わせていたのです。これを学校で画一的に教えないのは、ドイツで言えばナチスのホロコーストを学校で教えないのと同じです。そうした差別禁止教育が学校で行われていないのに、「反戦教育は自虐だ」と主張する政治政党が現代に出現したのですから、これはとても危険なことです。
 今に「在日コリアンへの差別は終わった」と発言することが、カラーブラインドレイシズムに差し掛かってくると思います。

(定期的に加筆します。現在はここまで書かれています)

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