1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動のイベント

五月十日に応募したバスツアーに参加し、無事終了しました。
船橋、習志野、八千代と巡りました。詳細は運営サイトや引用した媒体のページをご覧ください。

【感じる場・第9弾】5/31 ひとりではたどれない、千葉県の虐殺と追悼の現場を行く
1923記憶する行動 感じる場 №8 ひとりではたどれない、 千葉県の虐殺と追悼の現場を行く 5月31日( 日 )9:00~18:00 人数限定!! ■ 概要 これまで“感じる場”では、京都・ウトロや舞鶴、山口・長生炭鉱、東京・埼玉に…
関東朝鮮人大虐殺は単線的な議論になりがちです。ここで単線的な議論とは、謝罪や賠償を求めているという前提でもって、「はい」か「いいえ」で答えてみせることです。
たとえば八千代方面の慰霊碑には「虐殺の犠牲者」を示す文言が書かれていません。自然災害で亡くなった人達と同じ文言で追悼されています。これについて案内人の研究者である小薗崇明氏は「罪悪感から虐殺したことを明記しない」ということを指摘します。
ここで私が思ったのは、先祖代々、八千代で暮らしている人々は、当時の住民の子孫にあたるわけです。私は祖父が大正十五年の生まれだったので、一九二三年といえば曾祖父の時代の出来事です。曾祖父の住居は、栃木県足利市からそう遠くない場所にあったことがわかっています。ここでインターネットで論文を検索すると見つかる情報を紹介します。九月五日に足利駅で朝鮮人に間違われた日本人が撲殺される事件が起きていたのです。足利の人というだけでは、加害者も、被害者も無いようです。何が言いたいかというと、その後に子孫ら地域住民が頑張って慰霊碑を建てた結果、「ここに住む人って怖いね」と謂われてしまうようでは、罪悪感が水の泡だということです。慰霊碑を建てた人々の子孫は、再度その謂れをポンと引き継ぐのです。これは、決して大風呂敷を広げるような誇大な話ではありません。――嫌だと思います。関東朝鮮人大虐殺という文言や、それにまつわる議論が、全ての人々に均等にのしかかるわけではないのです。

小説・互いのレンズ
チャンネル登録者数十万人超えのゲーム配信者・スズキリカ。炎上もアンチコメントも日常茶飯事の彼女には、一つだけ面倒な定番ネタがあった。「朝鮮人」配信のたびに飛んでくるその煽り文句に、リカはいつものように「人種差別はやめましょう!」と返して笑い…

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