2026.10.10 埼玉朝鮮初中級学校 公開授業

 ――日本にいながら朝鮮の民族教育を受けたい!
 という在日コリアンの御家庭向けに教育の場があります。
 校内を歩くと、北朝鮮の国旗が散見されますし、最新の当該国のニュース記事なども掲示されていますから、要は背景に「あの国」があるには違いないのですけれど。

 ただ、現代の北朝鮮とリンクさせて考えるべきでは断じて無いのです。
 彼らは明治以前、大正、昭和(~第二次世界大戦)の時代に渡日したコリアンの子孫らです。
 言ってしまえば、そのようなルーツを持っているだけで同じ人類です……、まぁ、ここでいつも通りのキレイゴトを聞かされたと思う人もいるようですけれど、全然、同じ人類として扱われていませんから、彼らこそ「その言い方はおかしい」と思うかもしれません。

 私が高校生の頃は、まだまだ「大学で人生が決まる」というジャーゴンが支配的でした。それに比べたら彼らは民族教育を受けるという決断を幼少期に迫られたり、恐らくは親御さんの意思でその道を歩まされるわけです。――こうやって自分自身と対比して彼らを理解する事を、拒む人はなぜ拒むのかよく分かりません。

 ただ、あえて言うと、「彼らは可哀想は人達だ」という偽善者層に関しても、私は苦々しく思っています。自分の受けたい教育を受けている事が可哀想なはずないのです。

 一グループ八名で授業を見学するにあたって、私の班には中学三年生に相当する男子生徒が三名、案内役でついてきてくれました。彼らは熱心に授業の様子を説明します。

「教科書を見てください!」
 と言われました。
 子どもが実際に授業で使っている教科書を、覗いて見てくださいという意味だと思い覗いていると、
「手に取って、見てください!」
 と彼は言うのです。
 私が躊躇っていると、彼は一番後ろの列の男の子の教科書を借りて、私達に見せてくれました。
「こうやってハングルを学んでいます」
 十四歳か、十五歳の少年が大人相手に役目を果たそうと立派に行動したのです。

 彼らは最後に、
「これからも朝鮮学校を宜しくお願い致します」
 と丁寧に挨拶をしました。
 私は、必ずしも自分の意志で歩んだとは言い切れない道なのに、責任をもって大役を果たす姿に感動しましたよ。――繰り返しになりますけれど、日本人が十六歳でやるような決断を彼らは幼少の頃にするのです。貴方はそれを同じ人間としてどう評価しますか?

 見学の後は舞踊を見せて貰いました。
 画像はその様子です。
 民俗舞踊というカテゴリの踊りです。
 顔写真を写してはいけない不文律があるため、上手く伝えられないんですけれど、物凄くひょうきんな顔をして踊ります。――お笑い芸人の変顔のような表情で、聴衆が舞の続きが気になるように射幸心を駆り立てるような工夫が施されているのです。

「ひょうきんな顔だった」
 とだけ言うと、偽善者層が怒り出すと思います。――だから、形だけの人権主義者を私は好きではない。そんな調子では理想論が過ぎるという鋭敏な批判を、私は今まで一度も預かった事がないです!

 衝撃的な韓健洙教授の論考:かつての日本の植民地支配に抵抗する過程で形成されてしまった(コリアン側の)単一民族主義と純潔主義は克服すべきである(引用:田中宏「日本は朝鮮学校をどう取扱ってきたか―朝鮮学校の戦後史、60年代から現代まで」 2026.10.10 特別講演レジュメより)
(韓健洙・江原大学校教授「歴史的背景から見た韓国の多文化社会」韓国国際交流財団『Koreana(日本語版)』15-2、2008)

 上記を聞いた時は、なるほど、かつての日本の植民地支配に起因して、「日本人とコリアンとで純血主義を守る権利が不公平に分配された」と私は感じました。――これは、恐らくは偏った考え方かもしれませんけれど、保守派の方々はそれが当たり前だと思っていますよね? どうしてですか? と言いたいのですね。

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