2026.8.6 新宿駅東南口 漫画『はだしのゲン』読書会

 漫画『はだしのゲン』の八月六日のシーンを読む読書会がありました。
 かつては小学校の図書室にあった唯一の漫画であり、「学校で漫画が読める」というモチベーションのもと多くの生徒・児童が読み耽ったとされる作品です。

 『はだしのゲン』が図書室から消えたこと一つとっても、日本の教育は右傾化しています。中学校の歴史の授業では、「近代戦争への歩み」のチャプターがかなり詳細に授業されるようになりました。その際、「一等国への歩み」という含意を、抜かりなく生徒へ伝達することが使命とされています。

――三十年前の感覚であれば、私立の右翼の学校なんですよ、いまの公立の学校は。
 どんどん旧来、まっとうとされた人が左に流されてきている。
 右に進むのが進歩性だと誤解するひとが出る始末です。

 読了後の討論で、
「ここにいる人達は左翼(仲間)だと思うけれど……」
 という発言がありました。
 それは一向に構わないのですが、三十年前であれば普通のひと(児童)の読むものだったんですよね。――これを何度でも強調しますよ。

 ここで「安倍が粛々とつくっていた土台の上で、盛大に暴れているのが高市だ」と想像がつくと思いますが、今日はそういう議論は避けます。

「人の死」に対する認識が軽薄なコンテンツが増えた、という発言が複数ありました。
『はだしのゲン』は当時の漫画家ら、コンテンツ産業界からも、――邪道、という扱いを受けていたのですけれど、人の死を想像するよいきっかけだと、多くの人が賛同します。
 死は平等なので、右翼とか左翼とか無しにして真剣に考えて欲しいです。
 戦争や闘争は、死を観念論的に考えるきっかけではありません。――生きがいや働き甲斐を振り返って、自分の人生に意味があったと物思いに耽るきっかけではないです。
 ――しかし、昨今そのような思索を促す戦争作品や、闘争を描く作品が増えたということです。

――昔から同じことを年寄りが言うよね、と思ったかたは危険です。
 それは真実だからですよ。
 自分の生き方への労いが日常の中にない、そんなひとが増えたと思います。
 豊かではない暮らしのなかで、ボソッと死にたくなることは誰だってあります。
 その時、他者を傷つけたり、他者のものを奪ったりする感情が、刃物に好奇心を抱くように湧いてしまわないように、しなければならないです。――もちろん、その刃物が自分に向かってもいけません。
 戦争や死を考える機会が、自分の生を実感するためのきっかけになっているひとは、やはり黄色信号だと思うのです。けれど、そのような体験すら希薄だというひとは、もっと危険で、うんと心を疲弊していると思いました。――自分の生を能動的に体感するきっかけを豊富にしていかないと、自由で開放的であるとは言えないはずです。

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