
一時間半から二時間弱をかけて、蕨駅から戸田公園までおよそ四キロメートルの道を歩きました。途中、蕨市役所と戸田市役所を通りました。
「河合ゆうすけ 議員をやめろ」
「差別禁止の 条例つくろう」
様々な掛け声と楽器隊の演奏が混ざり合って、住民の怒りを体現しました。
ドイツはナチスのホロコースを公に認め、「あれは戦前の政権だ」などと言い訳をせずに、差別禁止法をつくりました。――社会正義を実行する法が制定されました。
日本は軍事政権のホロコースト(関東朝鮮人大虐殺)を否定し、「あれは戦前の政権だ」などと言い訳をし、差別禁止法にあたる法律がまだありません。――社会正義を実行する法が制定されませんでした。
「ドイツのような差別禁止法のない我が国で、ヘイトスピーチを禁止することは、喩えて言うなら道交法のない国でシートベルトの着用を義務付けるようなものだ」
と言う有識者のかたもいます。
――なぜ日本人なのに外国人に味方するのか? という問いに答えるのは至難の業です。
以前に神戸大学法学部の学生(当時)で、「日本をよくする最適解に投票すべきだ、もっとよく考えて欲しい」という真面目な青年がいました。彼が正しいか、間違っているか(=有権者が自己の利益を最優先すれば選挙結果としてすべてが調整される、など)はここでは議論しません。少なくとも、そういう感覚の聴く耳に対して答えるには、とても難しい質問です。
ただ、日本共産党や、社民党が目指す社会主義国としての日本は、「社会正義を実行する法を制定する為に社会主義の政府が必要だ。資本主義に迎合的な政治では一向に社会正義が実行されない」というイデオローグによって正当化されると思います。――社会主義国とは失敗国家だとしか思えないひとのなかには真面目で勤勉なひともいるので、ちょっと、言ってみました。
NO HATEデモに参加する系統の有権者からは「他人事ではない」と主張する声が最大公約数的に聞かれます。何かの拍子に自分が被差別者になりえると、人生のどこかで体感したり、現にそのような要素を持っていたりする人が、――社会正義を実行して欲しいと願うのです。個人の道徳では、片付かないから、法を制定して、法の支配に則ってすべてのひとへ社会正義が実行されることを願うのです。
――日本は単一民族国家ではありません。
古代以来、中国大陸や朝鮮半島、さらにはユーラシア各地から多くの人々が渡来し、この列島に住み着いてきました。現代の日本人も、長い歴史の中で様々な集団が混淆して形成された存在でしょう。
戸籍制度が整備されたのは明治以降であり、江戸時代の「鎖国」も、現代のような厳格な国境管理を意味していたわけではありません。もちろん往来は制限されていましたが、人の移動が完全に止まっていたわけではなく、実際には多様な人々が列島を行き来していたと考えられます。
だから政治団体のいう「日本人」というのも、「現代に日本国籍の者」というだけで自然科学的な分類ではないのです。
――私はマトリョーシカだと思っています。
① 日本列島にいてもいいひと
② ①を決めるひとたち(=日本人)
③ ②を決めるひとたち(=日本人のお手本になる日本人)
④ ③を決めるひとたち(=お手本になる日本人を指導する日本人)
このようにやっていくと、政党の代表者が最後に出て来るマトリョーシカなんですよ。
神谷宗幣とか、百田尚樹とか、石濱哲信とか。
選民以外のなにものでもない――。
こういうヒエラルキーを露骨につくるか、暗黙の前提として理解させるかはわかりませんけれどね。


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