キム・テヨン 김태영  KIM Tae-yeong 監督の「1923」を見に名古屋に行く

1923 | Official
未曾有の自然災害として多くの犠牲者を出した1923年の関東大震災。その混乱のなか「流言飛語」により、数多くの朝鮮人が殺害されるという重大な人権侵害が発生。この出来事を歴史の闇に埋もれさせることのないよう、市民団体、韓国の遺族、学識者らの膨大…

 関東朝鮮人大虐殺を題材にした映像作品は現代(2020年代)も制作され続けています。
 日韓近代史のタッチポイントであることは間違いありません。
 森達也監督の「福田村事件」も興味があります。そちらは後日ブルーレイを購入したいです。

 ここまで読んで、「最近知った人だな」と思うかもしれません!
 私と「関東朝鮮人大虐殺」の出会いは小学一年生の頃です。両親が教育熱心な家庭で育ったので『学研まんが 日本の歴史シリーズ』を全巻持っていました。

 「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「このような流言飛語により自警団が出来た」という説明の仕方です。子ども相手に紛らわしいですがそういう表現でした。虐殺の様子は描かれていません。日本がコリアンに対しておこなった酷薄なおこないはポプラ社の『まんが朝鮮の歴史』シリーズのほうがはっきり描かれていますけれど、そこでも関東朝鮮人虐殺は描かれていません。

 2026年5月に「1923」を上映している映画館が名古屋にしかないので、見に行ってきました。
 日本人という境界がどのようにして生まれるのか知る手掛かりになると思ったのですが、民間人の差別意識がどれくらい事態を加速させたかについては詳細に述べられていませんでした。大虐殺は事件ではなく戦争であり、当時の日本政府主導だったという真相を究明したものです(詳細後述)。
 名古屋に行く前に思っていたことは、――普段、我々は自分達のことを「日本人です」と言わないとか、そんなことです。どういうことかと言うと、学校や職場でも友だちばかりではないですし、日本人同士で競い合ったり、奪い合ったりする日常があります。自分達の歴史やルーツもほとんど知りません。にもかかわらず、たとえばサッカーやバレーボールの代表試合は高視聴率です。日本人が日本人という境界を引いて自分たちを丸で囲う際、どのような動機付けが存在するかの研究は遅延しています。そういう分析の助けになるものかと思っていましたが上述の通りです。

 少し余談を挟みます。
 アリランセンターの勉強会に行くと、在日コリアンが大勢出席しています。質疑応答の時間によく聞かれる文言は「三・一独立運動」「治安維持法」です。自分達のルーツを知った時に、先祖が明治憲法下の日本国に侵略的支配をされていたことと、現代日本で暮らしていることとの間にジレンマを感じるのかもしれません。
 私が自分のルーツを日本国にあると包み隠さないのは、ルーツというものは非常に大事なものだからです。私の先祖の墓は栃木県足利市にあります。昨年祖母が亡くなり、母が実家を相続する際、祖父の代で登記が済んでおらず、借家だったものを持ち家にする際に登記をしなかったのだろうと不動産屋に言われました。祖父が足利市に出て来る以前の家も比較的近隣にあったようでした。土着の家系だったと思われます。
 変な話をすると、私はあまり日本人が好きではありません。日本人が何をしてくれたんだと思います。歳を取るにつれて人生を七転八倒すると、スポーツの国際試合も全く興味がなくなりました。それでもルーツをぽんと捨てて、どこかに旅立ってしまわないのは、丁寧に育ててくれた親族への感謝があるからです。ルーツを捨てたり、偽ったりすることは人によっては抵抗のあることです。それは日本人にもいますし、在日コリアンにもいるのです。
 私は「足利市に本籍があるのか」と言われて差別されたら嫌です。
 その状況で「足利市出身ですが、差別に抵抗します」というのは勇気の要ることです。ここでいう足利市が地図上から消滅していたらなおさらです。今は全く別の行政が置かれてしまっているのであれば新しい行政の市民だったと思われるだろうし、それは違うと言えば、恐らく話しは通じないでしょう。
 私は精神障碍者ですけれど、差別発言を見聞きする度に思うのです。平素自分を支えてくれる人達へ感謝することに比べたら、差別者の言動なんて馬鹿馬鹿しくて相手にできません。――しかし、それは安全ありきです。本質的平等があるから、一個人の発言にやきもきしないのです。政治が公然と差別をするのは意味も目的も違います。危ういのです。

 下は名古屋で撮った写真をAIで水彩画風に修正したもの。
 場所は椿町、太閤、名駅四丁目、江川線、堀川、伏見、FUJIなごや科学館、錦三丁目、栄、矢場町あたり。川は庄内川と五条川です。清須の辺りも見てきました。

シネマスコーレ 〒453-0015 愛知県名古屋市中村区椿町8-12 アートビル1F

「1923」を実際に見て思ったことについて徒然に記します。
 まず冒頭で「もしも自分が百年前の日本にいたとして、絶対に虐殺に加担しなかっただろうか?」と悩む人、――彼女は市民団体の活動に加わった経緯として、そうした内心の変化があったと語ります。時代が違うだけで「他人事ではない」と考える人が、この問題に取り組む日本人のレペゼンとして収録されています。他にも、このような虐殺の歴史を持つ我が国、――私は日本人として恥辱に思うという正義感の強いメッセージも収録されています。
 市民団体が追及する真相は、実際の犠牲者が関東一帯で6661人にのぼること、自然災害の犠牲者ではないこと、事件というよりは戦争(列島内のコリアンに対する政府主導のホロコースト)で、その根拠がいくつもあること、大きくこの三つです。特に強調されていたのは三番目の、民間人主導の流言飛語が事の発端ではなく、政府と軍部の利害が一致したうえで政府主導で大虐殺が遂行されたことです。その後、民間の自警団が結成されて、警察を含む公権力の制御から逸脱してホロコーストが拡大したと読み取ることができます。なぜなら警察署内に収監されていた朝鮮人を自警団が引きずり出して殺害した記録も残っているからです。自警団らが減軽されていることも政治的な意図があるとされます。当時の日本政府は、明治維新以来掲げていた「欧米に認められた文明国(≒一等国)」へのメンバーシップに敏感で諸外国に事実内容を伏せます。その後、長い年月をかけて真相究明に労力を費やしたのは日韓両国の市民団体でした。たとえば彼らの働きかけで、死体を埋め立てた地点を特定して遺骨の発掘作業が行われました(※趣味で撮った名古屋の写真と紛らわしくて申し訳ないです)。現代の政府が自分らに不利な資料をいつ破棄してもおかしくないという警戒もあるようです。
 道徳論(反道徳である)という考え方で関東朝鮮人大虐殺を語られたときに、日本人という境界の内側にいる人だけが謂われているという傾聴の仕方はやってしまいがちです。そうではなくて人類の共通課題だと語られたときに、「皆、同じ人間だという勧誘を受けた」という聞こえ方もありがちなことです。市民団体が真相究明をせざるを得ないから、否応なしに個人の道徳論になるという判断も慎重になるべきです。なぜなら私が最も警戒感を抱いたのは、百年前に政府と軍部が一体となってホロコーストをやったという過去事実へ、現代においてまだ法の支配が徹底されていない(犯罪視がない)ことです。この犯罪視の欠落は、政治の動態として向かう先に戦争国化が見据えられているからだったり、それを下支えする世論を醸成するための民心の操作・操縦だったりすると疑うのです。

小説・互いのレンズ
チャンネル登録者数十万人超えのゲーム配信者・スズキリカ。炎上もアンチコメントも日常茶飯事の彼女には、一つだけ面倒な定番ネタがあった。「朝鮮人」配信のたびに飛んでくるその煽り文句に、リカはいつものように「人種差別はやめましょう!」と返して笑い…

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